ステップファミリーになって捨てた価値観、生まれた価値観

ステップファミリー

家族になる前、「家族とはこういうものだ」という漠然としたイメージを持っていた。

血がつながっていて、同じ屋根の下に住んでいて、父親は頼りがいがあって、みんなが笑顔でいる。そういう絵に描いたような家族像だ。

ステップファミリーになって、その価値観のいくつかを手放した。そして手放した分だけ、新しい考え方が生まれた。

捨てた価値観①「家族は血縁でつながるもの」

一番最初に手放したのは、これだった。

家族=血のつながり。長年そう思っていたわけじゃないけど、どこかにその前提があった。

でも実際にステップファミリーとして生活してみると、血なんて関係ないと気づいた。毎日一緒にご飯を食べて、くだらない話をして、たまに怒って、たまに笑う。その積み重ねが家族を作っていく。

継子の友達に「お父さんと顔似てるな」と言われた日のことを今でも覚えている。血がつながっていないのに似てくる。時間と暮らしが、確かに親子を作っていた。

家族のカタチに、正解なんてない。

捨てた価値観②「自分を後回しにするのが家族思い」

家族ができたら自分より家族を優先すべき、という考えも手放した。

もちろん自分だけ優先していればいいとは思っていない。でも、まず自分に優しくできない人間が、他人に優しくできるわけがない。

「自分はこんなに頑張っているのに」という気持ちが積み重なると、それはいつか家族へのプレッシャーになる。子どもにまでそれが向かうようになったら、もはや思いやりじゃなくて押し付けだ。

自分を大切にすることと、家族を大切にすることは、矛盾しない。むしろ自分が満たされていないと、本当の意味で家族に向き合えない。

捨てた価値観③「父親らしくあろうとすること」

ステップファミリーになった当初、「ちゃんと父親にならなければ」と思っていた時期があった。

父親らしく振る舞う。頼りがいを見せる。子どもにとってのいい父親像を演じる。

でもこれが一番しんどかった。

「父親であるべき」という意識で動き続けると、気づいたら「こんなに頑張っているのに、なぜ父親として見てくれないんだ」という気持ちが出てくる。それは結局、「俺を父親だと思え」という押し付けだ。子どもにとってはたまったもんじゃない。

父親になろうとするのをやめたとき、逆に楽になった。ただそこにいる大人として、一緒に飯を食って、話して、たまに怒る。それだけでよかった。

捨てた価値観④「完璧な親であろうとすること」

子育てに正解はない。頭ではわかっていても、どこかで「ちゃんとやらなければ」と思っていた。

でも今は、完璧な親なんて存在しないと本気で思っている。

子育ては毎日が手探りだ。正解がわからないまま、とりあえずやってみて、失敗して、また考える。それの繰り返しだ。完璧を目指した瞬間に、そこからはみ出した自分を責め始める。それが一番よくない。

「まあ、こんなもんやろ」と思えるくらいがちょうどいい。

生まれた価値観「家族は作っていくもの」

捨てた価値観の代わりに生まれたのは、「家族は最初からあるものじゃなくて、作っていくものだ」という感覚だ。

血がつながっていなくても、時間をかけて一緒に過ごせば家族になれる。完璧じゃなくても、自分らしくいれば子どもは見ていてくれる。父親らしくなくても、ただそこにい続けることに意味がある。

ステップファミリーというのは、ある意味で「家族を一から作る」経験だ。

既製品の家族像を当てはめようとすると、どこかで無理が出る。でも自分たちで作っていくと思えば、多少いびつでも、それがこの家族のカタチになっていく。

うちのブログタイトルは「kazokunokatachi」だ。家族のカタチは一つじゃない。それが今の俺の、一番大事にしている価値観だ。

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